自分たちの技術を生かしたギフトを。
ちょうど20代後半から30歳を迎える頃になると、周囲の仲間たちが次々と結婚していくようになります。共に青春時代を過ごした仲間たちが結婚という節目を迎えるその瞬間に、私は
「せっかくなら自分が職人として培ってきた技術やノウハウを活かしたプレゼントを贈りたい」
と思うようになりました。
例えば、自分がもしパティシエだったらオリジナルのケーキを焼けるし、花屋さんだったら自分がアレンジしたブーケをプレゼントすることができるでしょう。しかし、当時の私が仕事で製作していたのはブラケットやステーや配電盤など。およそプレゼントには程遠いものでした。
「板金加工で一体どんなモノが作れるだろう?」
考えては試作をしてみるのですが、なかなか納得のいくようなモノは生まれてきませんでした。今では割とポンポン出てくるのですが、その頃は本当に理屈も分かっていなかったですし、よく広告代理店の人たちが1つの案件に対し最低100のアイディアを出す訓練をすると聞いたことがありますが、ある意味でその時期はアイディア出しのトレーニング期間だったのかも知れません。
今となっては判りきったことなんですが、「板金加工で出来ること」から思考をスタートさせている時点で結果は大体見えているのです。
初期の頃に開発したステンレス製のお皿。
よく考えたらまたこれも商品化していませんでした。
サプールとの出逢い。
時は経ち2015年。
カラフルなスーツを完璧に着こなしたアフリカの紳士たちの写真が、ある日突然私の目に飛び込んできました。
それが「SAPEUR(サプール)」です。
後々お会いすることになるサプール写真家SAP CHANOさんの写真集より。
まさにこの1枚の写真こそが私が初めて知った、そして私の人生を変えたサプールの姿です。
我々日本人には想いもつかないようなカラフルなスーツの配色、そして「服が汚れるから争わない」というシンプルでストレートなメッセージ。
私が彼らの虜になるのに必要な時間はほんの一瞬でした。
なぜサプールのメッセージが私の心の刺さったのか?
幼い頃から、短気で気難しく怒りっぽい父から受ける仕打ちの最大の被害者は母でした。
中学生ぐらいになると複雑な家庭環境にある同級生たちがグレていくのを目にしますが、私が暴走族をやったりタバコを吸ったりしていたら、誰よりも辛い思いをするのは母だということが分かっていたから出来なかった。
私はずっと他人が表す「怒り」という感情に対して人一倍敏感だったし、強烈な嫌悪感を頂いていました。しかしそんな自分でさえ知らず知らずのうちに、父に対して抱く「怒り」や「憤り」のエネルギーを会社を立て直していくための燃料にしていたことに気付くのです。
会社では何度も父とぶつかりました。殴り合いのケンカまでしました。そして「怒り」は「負の連鎖」しか生まないことを知り、「怒り」でしか自分を表現できない張本人こそが実は最大の「被害者」であることに気が付くのです。
「争わない」という姿勢は、そうした愚かな土俵に自分が降りていってしまうことを防ぎ、自分らしさが発揮される最良な環境を保つことに繋がります。
最高のオシャレをして争わない生き方を貫くサプールは僕にとってまさにヒーローそのものでした。僕が心の中で抱いていたきたことをファッションを通してすでに表現していた人たちでした。そんな人たちがアフリカにいるということも新鮮な驚きでした。
「いつか彼らと会ってみたい。そしてその時は彼らにふさわしい何かを自分たちの技術で作りだし彼らに贈りたい。彼らと共に世界中にサプールのメッセージを伝えることができたらどれほど素晴らしいだろう。」
そんなことを真剣に思うようになりました。
とはいいつつも、そう簡単にアイディアが生まれてくる訳ではありません。ただ、僕の頭の中には常に「ファッションアイテムで何か可能性はないだろうか?」というアンテナが立ち続けていました。